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山下町135番地。中華街の歴史がくり返し現れる場所病院、劇場、領事館、そして公園へ

中華街の山下町公園は、かつての居留地135番地です。中国人が最初に土地を借りた場所で、その後、劇場や清国領事館が置かれました。

番地は開港のころのまま

山下町の番地は、ほぼ開港のころのままです。英国波止場(いまの大さん橋)のたもとを1番地として、元町交差点の近くまでが外国人居留地でした。そのうち111〜192番地の斜めの一帯が、いまの中華街にあたります。山下町公園の住所「山下町135-1」は、かつての居留地135番地です。

中国人が最初に借りた土地

開港から4年後の1862年、いまの中華街のあたりは、土地はできても建物はほとんどありませんでした。この地域で最初に土地を借りた記録は1863年1月で、「同済病院」が135番地の480坪を借りています。同済病院は、中華会館が貧しい人の救済と治療のために営んだ施設でした。

ここがポイント 135番地は、中華街が最初の一歩を踏み出した場所と言えます。

劇場「会芳楼」

1868年ごろ、135番地に劇場と料理屋を兼ねた「会芳楼」ができました。68番地のゲーテ座(1870年)より早い、居留地の貴重な娯楽の場です。中国から名優を招いた芝居、日本人の曲芸、西洋の出し物まで上演され、中国人・西洋人・日本人に親しまれました。浮世絵の「横浜名所」にも描かれています。

清国領事館と震災

会芳楼は1878年ごろになくなり、1883年、135番地に清国領事館が置かれました。1911年の辛亥革命までは清国総領事館、その後は中華民国総領事館として、横浜・築地・函館の居留地に住む中国人を代表しました。

1923年9月1日の関東大震災で建物は倒れます。1925年に一度戻ったものの、7年後にまた移り、その後の使われ方は戦乱のなかではっきりしていません。

公園になった135番地

1960年、135番地は児童公園「山下町公園」になりました。2000年の再整備で、会芳楼にちなんだあずまや「会芳亭」も建てられています。

次に行ったら 山下町公園の「会芳亭」でひと休みしながら、ここにあった病院・劇場・領事館を思い浮かべてみてください。