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歴史と街

中華街のとなりに、開港後最初の教会があったキリスト教禁制のなかで建てられた「横浜天主堂」

元町・中華街駅の中華街口のすぐそばに、「横浜天主堂跡」と刻まれたキリスト像が立っています。ここは居留地80番地。開港後、日本で最初に建てられたキリスト教の教会があった場所です。

居留地80番地のキリスト像

元町・中華街駅の中華街口(2番出口)の近くに、「横浜天主堂跡」と刻まれたキリスト像があります。ここはかつての居留地80番地で、横浜で最初のキリスト教会が建てられた場所です。

正式な名前は「聖心聖堂」ですが、入口に中国語でカトリック教会を表す「天主堂」の文字が掲げられていたため、「横浜天主堂」と呼ばれて親しまれました。石碑は創建100年を記念して1962年に建てられました。

1862年、最初の教会

横浜天主堂ができたのは1862年1月(文久元年12月)です。パリ外国宣教会のジラール神父が建てたカトリック教会で、開港後の日本で最初の教会でした。プロテスタントの教会(クライスト・チャーチ)は、その翌年、元町寄りの105番地に建てられています。

ここがポイント 開港とともに、日曜日に仕事を休む習慣も居留地に入ってきました。休日の習慣がなかった当時の日本人には、週に一度の日曜日はとても不思議なものだったといいます。

禁制のなかの準備

当時の日本は、キリスト教が禁じられていました。ジラール神父は、まず那覇で日本語を学び、1859年にフランス公使の通訳官として江戸に入ります。横浜へ通って信者の家の応接室で月に一度ミサを開き、身を守るために通訳官の制服で出入りしたそうです。資金を貯めるため、幕府にフランス語を教えることも申し出ました。

天主堂事件と禁制の終わり

白い壁に十字架を掲げた教会は、日本人の注目を集めました。教会は内部を一部見せ、日本語の上手なジラール神父が絵の説明をしながら教えを語りました。ところが献堂式から1か月後、訪れていた日本人約30人が捕らえられます。これが「天主堂事件」です。

状況が変わったのは1873年(明治6年)です。欧米を回っていた岩倉具視の使節団は、行く先々で日本のキリスト教禁制を批判されました。岩倉が本国に電報を打ち、同年2月、禁制の高札が取り払われます。信仰の自由が正式に認められたのは、1889年発布の大日本帝国憲法でした。

山手への移転

禁制がゆるんだあと信者は増え、1885年には横浜近くに住む信者だけで1,745人になりました。火事にたびたび遭いながら再建を重ねた横浜天主堂は、1906年(明治39年)に山手へ移り、いまの「カトリック山手教会」に引き継がれています。

次に行ったら 元町・中華街駅の中華街口を出たら、すぐ近くのキリスト像と「横浜天主堂跡」の碑を探してみてください。