中華街の通りの名前は、意外と新しい本村通り、前橋町通り、フロ屋通り。名前の移り変わり
上海路、広東道、長安道。いかにも中華街らしい通りの名前が地図に載るようになったのは、じつはそれほど昔のことではありません。
開港のころ、名前があったのは1本だけ
開港まもない1865年にフランス人技師が描いた横浜の地図を見ると、いまの中華街のあたりで名前が書かれている通りは1本しかありません。「本村通り」です。いまの南門シルクロードから開港道にかけての、くの字に曲がった道にあたります。
本村通りの名は、戦後まで地図に載り続けました。その後、通りの半分は1959年(昭和34年)ごろから「前田橋通り」、1983年(昭和58年)から「南門通り」、1994年(平成6年)から「南門シルクロード」と、名前を変えていきます。
居留地につけられた、全国の地名
1866年、横浜で大火が起き、関内の3分の2が焼けました。これをきっかけに、日本人の住む町と外国人居留地のあいだに、燃え広がりを防ぐ幅120フィートの大通りがつくられます。いまの日本大通りです。
道路や下水道が整った1879年(明治12年)、居留地に初めて町名がつけられました。その名前は、小田原町、前橋町、尾張町、函館町、蝦夷町など、全国の地名でした。外国人が暮らす町に、なぜ日本各地の名前をつけたのか、はっきりした理由はわかっていません。
いまも残る、昔の町名
こうして名づけられた30の町名は、1899年(明治32年)に居留地が廃止されると、日本大通りをのぞいて「山下町」にまとめられ、いまに至ります。
それでも、昔の町名は街のあちこちに残っています。中華街の近くの「加賀町警察署」や、市営バスの「薩摩町中区役所前」がその例です。通りの呼び名としても、中華街大通りは「前橋町通り」、関帝廟通りは「小田原町通り」と、近年まで呼ばれていました。
路地に名前がついたのは最近
いま中華街には、大小あわせておよそ18の通りの名前があります。長安道、上海路、広東道、福建路、蘇州小径など、中国の地名をつけた名前です。
ただ、こうした名前が地図に載るようになったのは、開港150年(2009年)を前にした時点で、15〜20年ほど前のことだといいます。それまで小さな路地には正式な名前がなく、いまの香港路は昭和62年まで営業していた銭湯にちなんで「フロ屋通り」、中山路は米軍がそう呼んでいたことから「ハッピーアベニュー」と呼ばれていました。
昭和から変わらない「市場通り」
昭和のはじめから名前を変えずに続いているのが「市場通り」です。かつてこの通りで朝市が開かれていたことが名前の由来といわれます。