中華街の地面の下から出てくる、明治のレンガと瓦媽祖廟の足もとと、日本初の西洋瓦「ジェラール」
中華街の地面の下には、昔の街のかけらが眠っています。工事のときに出てくるレンガや瓦から、震災前の居留地の暮らしが見えてきます。
歴史は足もとにある
街の歴史をたどる手がかりは、古い記録や長老の話だけではありません。地中に埋まった昔の街のかけらも、大事な手がかりです。中華街のほとんどはビルや道路に覆われていますが、工事のときなどに、ときどき姿を見せます。
136番地のレンガ敷き
いま横濱媽祖廟が建つ山下町136番地では、2005年春の建設工事中に、たくさんのレンガやガラス瓶が出てきました。見つかったレンガ敷きは、関東大震災(1923年)より前につくられたものです。震災でも空襲でも壊れずに残った、珍しい例でした。
このレンガは大切に保存され、約1000枚が媽祖廟の鐘楼・太鼓楼の土台部分に使われています。当時この土地には、日本人の牛乳屋、中国人の両替商や籐家具店、西洋人のバーなどがあり、レンガ敷きは中庭か土間だったと考えられています。
清国領事館のかけら
135番地の地中からは、震災前の清国領事館のものと思われるがれきが2000年に見つかりました。いろいろな種類のレンガにまじって、中国製らしい色あざやかな食器のかけらもありました。がれきはどれも小さく砕けていて、震災の激しさを物語っています(山下町135番地。中華街の歴史がくり返し現れる場所)。
日本初の西洋瓦「ジェラール」
中華街で出てくるレンガや瓦には、「ジェラール」のものが多く見られます。清国領事館のかけらでも、いちばん多かったのはジェラールのレンガでした。
ジェラール工場は、中華街のとなり、山手の77・78番地にあり、1873年ごろから明治の終わりまでレンガや瓦をつくっていました。このジェラールが、日本で最初の西洋瓦です。工場はもともと、湧き水を船に売る仕事もしていました。工場がなくなったあとは撮影所、震災後は湧き水を使った市営プールとなり、いまの元町公園につながっています。